みやぎ震災復興研究センター

避難先と元の住処を行き来しながら生活再建の道を模索する被災者に寄り添う

——遠州尋美「『二拠点居住』の危うさ」を読んで
被災地NGO恊働センター 村井雅清

白米千枚田に沈む夕日
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遠州尋美

みやぎ震災復興研究センター・事務局長(gmail登録)

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「二拠点居住」の批判的検討を行った投稿に,被災地NPO恊働センターの村井雅清さんが,貴重なコメントをくださいました。村井雅清さんの同意を得ることができましたので,共有したいと思います。
 元の住処と避難場所を行き来しながら生活再建の道を模索している被災者に寄り添う復興の必要性を指摘されています。

 遠州尋美さんの「二拠点居住」に関する批判的コメントには同感です。

 5月に石川県が発表した「石川県創造的復興プラン(仮称)」を読んだ時には、被災者の生活再建に役立つ可能性を感じて、「二拠点居住」に期待もありました。

 それは、同プランの「2、創造的復興リーディングプロジェクト」では、「取組1 復興プロセスを活かした関係人口の拡大」の中で、

―関係人口の拡大を図ることが最重点課題であるといえます。現在、都市と地方の双方に拠点を構える新しいライフスタイルである二地域居住の取り組みが国を挙げて動き出そうとしています。(中略)また、能登においては、震災により、仕事や育児、教育といった理由により、やむを得ず能登を離れ、能登と避難先での二地域居住となっている方々も多くおられることから、被災者支援としても重要な視点であり、必要な対応を検討していきます。

と記されてたからです(下線は、引用者)。しかし、この復興プロジェクトが議論される中では、上記の「能登においては、云々‥‥」という文言が消えつつあります。

 災害後の被災者支援を重点に置くなら、このことが一丁目一番地の筈です。しかし、遠州さんが指摘されるように、関係人口・交流人口の拡大の方に吸収され、見え隠れする「コンパクトシティ構想」に回収されるような方向が強くできているような気がします。

被災者に寄り添う「二地域居住」のあり方とは

 すでに東日本大震災後の福島の原発事故による県内・県外避難の課題から「二地域居住」は提案されていました。当時福島大学の今井 照教授が提案されていた「避難元と避難先の両方で住民としての権利と義務を持つ『二重の住民登録』も必要だ」という議論なかで話題になったのです。ところが能登では、その「二地域居住」とは、あまりにもかけ離れた二地域居住が企まれています。

 実際に、被災者に寄り添う「二地域居住」の優れた実例も生まれています。2011年の奈良十津川豪雨水害のあと十津川役場が取った政策は、見事な被災者支援という立場での「二地域居住」を実現しています。(資料では「二地域居住」という文言はほとんど出て来ませんが、その文言を使わずに実を取る苦肉の施策だからです。)私は、2020年の熊本の球磨川水害の時にも球磨村の村長に十津川の事例を紹介しました。残念ながら採用には至りませんでした。

 ですから、私的には、今回の能登半島地震ではやっと実現するのか!と一時は期待したのですが、遠州さんが指摘されたような現実が待ち受けています。

集落ごとに築く「安心拠点」・十津川村「高森のいえ」

避難場所と元の住処を行き来して生活再建の道を模索する被災者

 今、能登は発災から6か月以上が経過していますが、まだ緊急救援期を脱していない現実が、特に一時孤立した集落では散見されます。つまり具体的には水も、電気もいまだ通っていないという現実です。そうした中で、元の住処と二次避難所や仮設住宅を、行ったり、来たりしながら元の集落での「暮らし再建」を求める被災者が少なくないのです。

 今、創造的復興の名のもとに短期、中期、長期における関係人口の拡大を叫んでいますが、先述したようにまだ緊急救援期を脱していない現実の中では、まず目の前の被災者の不安を取り除き、安心して暮らせる政策を具現化することが行政の仕事です。ならば、コミュニティを崩さないために集落の中に仮設住宅を建て、そのままやがて復興住宅に移行するという道筋こそが望ましいはずです。過去の災害後の事例から学ぶならば、そうした選択肢しかありえない。それにもかかわらず、土地がない、コストがかかるなどといつも言われてきたような言い訳しかできない実態が、何も過去に学んでいないことをさらけ出している証拠です。仮設住宅1戸あたり1000万円もかかるという駄策を未だに繰り返している現実を被災者が納得できるように説明ができるのか、甚だ疑問です。

「被災者主体」「人間復興」を実現したい

 今回の地震をきっかけにほんとうに「被災者主体」「人間復興」を実現して欲しいものです。ここ数か月前から通い続けているある集落の高齢女性(80歳代)は、二次避難所と元の集落とを頻繁に行き来しており、水が出ない元の集落に帰って来ては、集会所で寝泊まりし、昼間は電動車いすで自宅の片づけや畑の世話に出て、4日~5日集会所で寝泊まりし、残り2日~3日は二次避難所に戻って「洗濯・掃除・入浴」をして、また元の集落に帰って来るという実に気楽な「二拠点居住」を実践しています。悲壮感は全くありません。

 能登地域は「世界農業遺産 能登の里山里海」に選ばれています。これを守っているのは、能登独特の素晴らしい自然を維持し、その中での住まい方を実践してきたそのものが遺産の対象だった筈です。集落の人々が汗水流して守ってきたのです。先述したような”気楽な暮らし”を一日でも長く維持できるような支援をすることが何より急がれることです。中期計画、長期計画を考えるならば、この目の前の暮らしをいかに持続可能な暮らしにするのかが何より優先されるべきではないでしょうか?

 能登に行く度に、一時孤立した集落の現在を見ると痛感することなので、皆さんにも知ってほしいと思います。

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