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4月28日の日曜日,末弟と連れ立って,三上智恵監督によるドキュメンタリー「戦雲(いくさふむ)」を観てきた。東日本大震災の被災地が,被災者のくらし,なりわいの再建に苦闘し,ようやく,復興公営住宅や高台移転,嵩上げ市街地の造成が始まり,一方,沿岸集落のあちこちで巨大防潮堤と復興まちづくりのはざまで被災者が引き裂かれようとしていたとき,日本国民の目が届かない中で,ひっそりと進められていった日本最西端の島々のミサイル基地化………
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辺野古基地建設をめぐる沖縄県民の戦い
私たちは,大震災復興に取り組む中でも,普天間基地返還の前提に同基地の辺野古移設とそれに反対する沖縄県民の戦いに注目し,その結果は知っていた。
地元自治体が反対する中で,仲井眞知事が2013年末に公有水面埋め立てを承認したことも,翌2014年11月に反対派の翁長氏が仲井眞知事を破って当選したのに,仲井眞知事が退任間際に沖縄防衛局の設計概要変更承認申請の一部を承認したことも,2015年10月に翁長知事が公有水面埋め立て承認を取り消し,その2週間後には国交大臣が知事の取消処分の執行停止を決めたことも,引き続いて国が埋め立て承認の代執行訴訟を起こし,県も反訴して,裁判で和解するも,その後の手続き,設計変更をめぐって,延々と国,県の争いや続いてきたことも知っていた。その渦中においても,2018年9月に玉城デニー知事を当選させ,翌年2月の県民投票では,53%の投票率で72%が辺野古埋め立てに反対するなど,国の横暴に抵抗する強固な民意を示し続けていることにも注目してきた。
だからこそ,軟弱地盤の改良のための設計変更を県が承認しなかったことをめぐって争われてきた代執行訴訟で,昨年末に高裁が知事に承認を命じ,県が上告したのにもかかわらず,国は承認を代執行して能登半島地震発生直後に工事が開始され,さらに3月に最高裁が上告を棄却して,県の敗訴が確定したことには,改めて強い憤りを感じたものだ。
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ひっそりと進められた国境の島々のミサイル基地化
だが,国境の島々で進むミサイル基地化を,私は知らなかった。
与那国島
与那国島。人口はわずか1,700人。面積は30平方キロ弱。台湾からの距離は111キロしかない。ここで「台湾有事」を想定した軍事要塞化が動き出したのは,Wikipediaによれば,2008年。9月に町議会が自衛隊誘致を決議し,2009年には誘致推進派の町長が当選。映画では,反対派や懐疑派の町民の訴えを頑としてはねのけ続ける姿勢を印象的に切り取っている。賛成派,反対派が島を二分して激しく対立するなかで,2014年4月に着工,2016年3月末には駐屯地が開庁された。自衛隊員150名にその家族も加えて250名。今では人口の15%を占め,自衛隊反対を口にするのは困難になった。そんな中,再び与那国をかき乱すことになったのが米軍との共同作戦とミサイル配備問題だ。2022年11月の日米統合演習で戦闘車両が公道を走行して危機感を煽り立て,2023年5月には防衛省による自衛隊ミサイル部隊配備の説明会が行われた。軍事利用を前提とした与那国空港滑走路の500メートル延長や,島の南側に,米掃海艇部隊の拠点となりうる幅300メートル,奥行き1キロの大規模港湾を建設する計画が持ち上がっている。
石垣島
石垣島。与那国島から西表島を跨いで,西に127キロ,面積222平方キロ余,沖縄本島,西表島に次いで3番目の大きさを持つこの島も自衛隊基地建設をめぐって揺れていた。驚くのは,石垣島の聖地とも言える於茂登岳の麓,平得大俣地区における基地建設の是非を問う住民投票請求が,自治基本条例(当時)が定める有権者の4分の1をはるかに超える署名を集めて成立したのにもかかわらず,石垣市議会は住民投票開催決議を2019年2月1日否決。基地は民意を問うことなく,否決直後の3月には着工されてしまった。当然,住民投票請求を行った市民たちは裁判に訴えたが,なんと市議会は,2021年6月に自治基本条例を改悪し,住民投票の規定そのものを削除して住民投票を葬ってしまったのだ。そして,石垣でも米軍との合同訓練で市街地走行(ゴムタイヤ)仕様の戦車が中心市街地を蹂躙し,ミサイル基地化も着々と進む。与那国島とはことなり,石垣島での自衛隊配備は当初からミサイル基地化が前提だった。
宮古島
宮古島。台湾と沖縄本島のほぼ中間に位置し,面積160平方キロ弱の宮古島も,石垣島同様,当初からミサイル部隊の配備を目的として基地建設が始まった。珊瑚礁が隆起してできた島は平坦で川もない。島のくらしは地下水に頼る。最初狙われたのは大事な水源の真上の土地だ。それを知りつつ市長は土建屋一族の利権のために水源地を売り渡そうとした。住民はもとより審議会も否定して当初計画は挫折する。だが,仕切り直したのち経営破綻した「千代田カントリークラブ」跡地とすることで2017年10月に契約が成立。工事は急ピッチで進み,2019年3月に宮古駐屯地は開庁した。当初は離島警備部隊を中心に380名が配備されたが,2020年からはミサイル部隊が加わって700名に増員された。2021年5月,同敷地の買収をめぐって親族の敷地所有者に便宜を図ったみかえりに収賄したとして,1月に落選したばかりの前市長が逮捕された。本人は賄賂性はないと無実を主張するも裁判所は賄賂性を認定。有罪が確定した。結局,利権と自身の欲望のために命の水を,島民の命を売り渡したのだ。
もっとも映画は,ひたすら島民の目線で追いかけたものだから,権力者のどろどろした暗躍は描かない。焦点をあてたのは,突然降って湧いた弾薬庫建設。2019年10月から市の中心部平良地区とは反対側の保良集落隣接地で工事が始まった。テントを張って基地建設を監視する住民。訓練見学ツアーと鳴り響く射撃音。巨大な弾薬庫が爆発したら………。住民と基地建設の緊張関係と,対照的に描かれる漁師のくらし,漁船で競うハーリーレースと自衛隊員との交流。レースを見にきた自衛隊員の子どものインタビューから見えてきた交流の儚さ。インタビューに応じた子はもう来年には島外に転居しているのかもしれない。
そして沖縄本島でも
最後は,ミサイル防衛を統括する沖縄本島。うるま市勝連分屯地に,「12式地対艦ミサイル部隊」が配備され,今年(2024年)3月30日,記念式典が行われた。同じうるま市石川地区の射撃訓練場建設をめぐって反対が高まる中での配備だった。「台湾有事」への備えを唯一最大の旗印として,南西諸島をミサイル基地化し日米一体で中国を封じ込める体制が,いよいよ完成に近づいた。
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自衛隊は島の人々を守らない
「戦雲(いくさふむ)」が声高に語ることなく島の人々の視線を通して示したのは,「南西シフト」は決して,島の人々を守らないということだ。武力攻撃事態等には,与那国,西表,石垣,宮古など先島諸島の住民は全島避難というのが国の計画だ。与那国島の説明会で,「自衛隊は島民の避難に従事できるのか?」との問いに,警備部隊の隊長は,フロアからマイクを握り「私たちが必ず避難させる。自衛隊が(あるは「防衛省は」だったか……)はっきり約束する」と答えた。だが,国の方針以後,島に赴任する隊員たちは,家族を伴わずに単身で赴任するケースが増えているという。
中林(2018)によれば,島外への避難は当然,海路または航空路にならざるをえないが,自治体の誘導のもと,交通運輸業者や自衛隊,海上保安庁の輸送力活用が想定されている。各事業者が作成する国民保護業務計画には,当然のことながら業務遂行の安全を確認する規定が盛り込まれている。海運事業者の計画では極力要請に応えるとしているものの,墜落すればほぼ確実に全員の命が失われる航空運輸事業者は,安全が確保されている地域でのみ活動する姿勢が強調されているという。常識的には武力攻撃事態で,安全確保が可能であるとは思えない。つまり民間の航空輸送力を期待することはおそらくはできない。自衛隊はどうか。武力攻撃事態であれば,敵の掃討が最優先であろうから,住民避難に兵力を割くことが可能なのか。島民の疑問,懸念もそこにある。中林は,防衛省での国民保護業務計画では,島嶼部の特性に配慮して,可能な限り避難住民の輸送や生活支援を行うとあるものの,「自衛隊への特殊標章(文民保護に従事する人物等を明示するための国際的な標章)の交付については記述がない」という。つまり,国民保護に従事する専従要員・部隊や機材の提供等を予定していないことの表れだ。島民の懸念は,決して根拠がないわけではない。さらに問題なのは,先島諸島住民11万人と観光客1万人の計12万人の受け入れ先については,九州,中国地方の9県とされているが,昨年10月に計画策定を依頼したものの,具体的議論は始まってもいない。島民が自分たちの預かり知らないうちに「戦争の島」にされ,国に見捨てられたと嘆き悲しむのも頷ける。
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利権にまみれた首長を一人抱き込めば,あとは国の思うがまま
私が,驚くのは,辺野古基地建設に沖縄県が頑強に抵抗し,県民が知事選挙や県民投票で反対の明確な民意を示し続けているのに,県の姿勢や県民全体の意向とは無関係に,同じ県内でミサイル基地化,軍事要塞化が着々と進行してしまうという現実だ。しかも,基地建設対象地の集落はどこでも反対の意思を示している。しかし,県の意向も,地元住民の意向も関係なく,利権にまみれた首長ひとり抱き込めば,あとは国の思うがままだ。そして基地建設が進んで自衛隊が配備されれば,その隊員もその家族も島民,住民の構成員になる。反対派住民の意思は数の上でも,利害のうえでもどんどん劣勢になる。そして島は支配される。戦前の日本でも,ヨーロッパでも,ファシズムの台頭と支配は,このようにして進んだのかと,妙に納得させられた。
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馳石川県知事が唱える「国防一体型復興」
あまりの衝撃で,ここまで書き進めたが,このブログで本当に伝えたいのは,沖縄の現実ではない。馳石川県知事が,唱える「国防一体型復興」の行き着く先が,国境の島々で進む「南西シフト」の実態に如実に示されているということだ。
県本部会議第2回会合での知事発言
馳知事は,2024年3月28日に開催した石川県令和6年能登半島地震復旧・復興本部会議第2回会合の最後に発言し,「国防一体型復興」の必要性を強調した。以下,議事録から該当部分を引用しよう。
加えて国防の観点から申し上げればですね、半島におけるこの震災のときに万が一、国防の事案が起こったらどうするんだろうと考えれば、今般の自衛隊の陸海空の、私ども県民に対する支援は極めて大きな意味を持っていると思っています。従って、輪島分屯地の役割や、空港が拠点になったことの意味合いというのは、私達は各部局も県民の皆さんにもご理解いただけたと思います。
強靭化を目指す以上は、更なるですね、こういった半島における災害と国防とを一体的に考えていく必要もございます。そういった意味で、今般の防衛省のご支援に対して感謝するとともに、感謝だけではなくて、今後どういう機能を、輪島分屯地や能登空港において持つべきなのかといったことも、意識していただければありがたいと思っています。
復旧における自衛隊部隊の支援に感謝を示しつつ,石川県民が自衛隊の存在意義に認識を深めたであろうことに乗じて,災害復興を隠れ蓑した国土強靭化と防衛力整備計画に呼応して,国防一体型復興を県が定める復興計画に位置付ける意思を示したのである。知事が,「南西シフト」によって先島諸島のミサイル基地化がすすめられてきたことを意識しての発言であることは間違いない。「今後どういう機能を、輪島分屯地や能登空港において持つべきなのか」と言う発言は,能登空港の軍事利用や,輪島分屯地のミサイル基地化を明確に意識してのものと思わざるを得ない。さらには,宮古島保良弾薬庫のように,弾薬庫や核シェルターの建設までも視野に入れているのかも知れない。
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「国防一体型復興」で引き裂かれる被災地の未来
仮に石川県が知事の方針のもと,復興計画に「国防一体型復興」を盛り込めば,沖縄で経験したような県民を二分する政治的混乱は避けられない。軍事利用を前提とした能登空港の滑走路延長や輪島分屯地のミサイル基地化が計画されることになれば,今なお広域的に分散避難を強いられている被災者は引き裂かれ,今後世代を重ねても修復できないほどの対立が持ち込まれるだろう。
馳知事は,いかにも,自衛隊の存在は緊急事態化における侵略への抑止力になると言いたようだ。だが,知事のいう「国防の事案」が起きた時に,自衛隊が決して被災住民を守りはしないということを私たちは学ばなければならない。それどころか,先島住民の多くが懸念するように戦争を自ら呼び込むことになる。今,沖縄で配備が進められている国産の「12式地対艦誘導弾」は,現行射程は200キロだが,その後継の開発も前倒してすすめれ,2025年には試作段階から配備が開始される予定とされる。後継の巡航型は,当面は射程900キロ,いずれは1,500キロとする計画だ。明らかに敵地攻撃能力を備えることになり,戦争を呼び込む危険が現実のものとなるだろう。何より深刻なのは,能登半島には志賀原発があることだ。もし,志賀原発が攻撃対象となったなら………。考えるだに恐ろしい。
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不明を恥じる
私は,馳知事の「国防一体型復興」論に強い憤りと嫌悪感を感じたものの,既に国境の島々で着々とミサイル基地化が進み,米日統合軍事体制が既成事実化されていっている事態を知らなかった。おそらく,友人に勧められて「戦雲(いくさふむ)」を観ていなければ,いまこうしてブログ記事を書いている瞬間も,それを知らないでいただろう。
現地から,その実態が発信されていなかったわけではない。この記事の執筆を思い立って2日,ネット検索だけでも大量の情報が入手できた。とりわけ,沖縄の報道機関は,頻繁にかつ継続的に報道を続けていた。みやぎ震災復興研究センターでともに復興検証を進めてきた阿部重憲さんや長谷川公一さんが,復興事業や事前防災が国土強靭化に位置付けられ,国防と防災の一体化や緊急事態基本法による国家統制強化の危険に度々警鐘を鳴らしていたから,私自身,その危険を認識しているつもりでいた。しかし,沖縄といえば辺野古埋立という思い込みが意識の壁となって,国境の島々のミサイル基地化の重要性に目も耳も塞いできた。不明を恥じるしかない。
最後に強調したい。
武力攻撃事態に自衛隊は被災者を守らない。被災者を国防の盾にしてはならない!!
(参考)中林啓修(2018)「先島諸島をめぐる武力攻撃事態と国民保護法制の現代的課題——島外への避難と自治体の役割に焦点を当てて——」(『国際安全保障』第46巻1号,2018年6月)