みやぎ震災復興研究センター

基準法第84条の建築制限と災害危険区域

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遠州 尋美

みやぎ震災研事務局長
工学博士
元大阪経済大学教授

 先週,みやぎ震災研会員の鴫原敦子さんと,『日本の科学者』7月号に掲載する用語の説明をめぐって,何度かメールを交換した。私と阿部重憲さん,小川静治さんが同号(東日本大震災10年特集)に寄稿したことで,同誌の編集委員である鴫原さんが関連用語の解説を執筆することになったのだという。送られてきた初校ゲラを見ると,編集委員会で指定された用語について,1頁にちょうど収まるように原稿を書かなければならないのだろう。自分の専門とは異なる分野の用語を解説するのは大変だが,レイアウトの制約があってはさらに荷が重いと思う。そこで,執筆者に記載内容のチェックを要請してきたということのようだ。

 やや気になったのは「災害危険区域」についての記述。いや,災害危険区域の解説内容は問題ない。ただ,災害危険区域の役割が,防災の必要から,地権者の建築行為を規制する「建築制限」にあるとするなら,「災害危険区域」ではなく,「建築制限」を項目として起こして,その中に「災害危険区域」の記述も含めた方がよいと思ったのである。なぜなら,建築基準法第84条で行う建築制限にこそ,宮城県が進めた「創造的復興」の本質がよくあらわれているように思えるからだ。説明する用語の選択は編集委員会にあるようで,執筆者の鴫原さんの一存ではできないらしく,また,締め切りも切迫しているからそこまで大きな変更はできなかった。そこで,メンバーブログで論じておきたいと思う。

 まず,東日本大震災後に,実際にどのような建築規制が行われたのか,確認しておこう。掲載の図は,阿部さんが鴫原さんに送った参考資料「東日本大震災に対応して講じた措置の概要」(国交省,出所,作成日不明,まだ阿部さんに確認をとっていない)の26頁である。

 緑の四角で囲まれた部分が,建築基準法第84条による建築制限をかけた自治体(石巻以外は,建築主事を置かない自治体なので,県が指定)。赤の四角で囲んだところが,大震災の特例(東日本大震災により甚大な被害を受けた市街地における建築制限の特例に関する法律,以下,建築制限特例法)で84条の建築制限を延長した自治体。青の線で囲み水色に塗られた四角は復興まちづくり事業を実施する予定地(被災市街地復興推進地域)で都市計画法/被災市街地復興特別措置法による建築制限に移行。赤い破線で囲みきい色で塗られた四角が,建築基準法第39条による災害危険区域を指定して建築制限を行なった自治体である。

 すなわち,東日本大震災の発災直後において,被災市街地にかけられた建築制限は,建築基準法第84条,建築制限特例法,被災市街地復興推進区域(被災市街地復興特別措置法第5条,第7条),そして建築基準法第39条による災害危険区域による建築制限の4種類だった。

 このうち,自治の観点から最も問題なのは,最初の2つ,基準法84条と建築制限特例法による建築制限である(ここで「建築制限」というのは,制限がかけられている期間内における建築は,通常の場合の建築確認によってではなく,知事の許可が必要という意味である。許可申請があれば,容易に除却できる仮設の建物などは,知事は許可しなければならない。また,建築ではなく,屋台やトレーラー,コンテナなどの設置,テントの設営などは,そもそも許可も不要である。だが,「建築制限」について問い合わせても,経験のない被災自治体の担当者が知識がなく,仮設の建物や屋台,テント等も門前払いされる事態が生じた)。

 この2つは,復興まちづくり(市街地開発事業)の実施が不可欠と考えられる区域で,復興に向けたまちづくりの方針が定まらないうちに,被災者が個々に被災家屋等の再建を行ってしまい,復興まちづくり事業の実施に支障が生じることを防ぐために,一時的に建築制限を行うものである。基本は,災害発生から1ヶ月以内に限って制限できるが,2ヶ月までは延長できる。期間限定の一時的措置ということから,条例の制定や,都市計画決定を行うことなく,特定行政庁(都道府県もしくは政令市等。建築確認を行う職員である建築主事を置いている自治体)の判断で指定できることになっている。ただし,東日本大震災では,災害の規模が極端に大きく,発災後2ヶ月以内に復興まちづくりの方針や,必要な事業の計画,区域を定めるのは困難だとして,建築制限特例法が制定され,基準法第84条による制限を最大8ヶ月まで延長できることにしてしまった。そのため,建築制限区域内の地権者は,8ヶ月もの間,議会の審議も,都市計画審議会での審議もなく,将来どのようなまちとして復興が進められるかの情報も与えられず,くらしや生業再建の手足を縛られて不安な日々を過ごすことになった。

 注目してほしいのは,建築基準法第84条と建築制限特例法で建築制限を行なったのは宮城県だけだったということである。

 一方,被災市街地復興推進地域や,復興のための市街地開発事業の区域が定められれば,建築制限が解除されるのかといえば,そうではない(それらの区域から除外されれば,当然建築制限は解除されるが,しかし,復興まちづくり事業の対象地でもないのに8ヶ月も建築制限をかけられてはたまったものではない)。それらの区域が指定されると,次は,それらの区域による都市計画上の制限が加えられる。前者の場合には,2年間を限度として建築はもとより,建築の前提となる土地の「区画形質の変更」(道路・水路の変更,切土や盛土,農地・山林の宅地化など=都市計画法による「開発許可」の対象)も制限を受ける。後者の場合は,市街地開発事業が終了するまでの期間,同様の制限が行われる。

 恥を晒すようだが,実は,私は鴫原さんとのやりとりの後に調べてみるまでは,被災市街地復興推進地域のことを知らなかった。この指定の根拠となる被災市街地復興特別措置法は,阪神・淡路大震災を契機に制定されたものである。阪神・淡路大震災では,兵庫県内の4市(神戸市,芦屋市,西宮市,宝塚市)1町(北淡町)14地区337haに基準法第84条による建築制限区域が定められた。これほどの規模の建築制限は,もちろん初めてのことだった。甚大な被害を被った大都市の広大な被災市街地を対象に,建築制限が可能な被災後2ヶ月以内に復興のために必要な市街地開発事業の都市計画決定を行うことは,極めて困難であるとする懸念が広がるのは不思議ではない。そこで,具体的な事業内容を決めることなく都市計画決定が可能な被災市街地復興推進地域の指定と同地区内での建築制限等を定めることを可能とする被災市街地復興特別措置法が,急遽,国会に上程され,迅速な審議により1995年2月26日には公布,施行された。建築制限の期限である同年3月17日の3週間前の施行という早技だった。しかし,それが私の記憶に残らなかったのは,結局,阪神・淡路大震災の復興にはこの制度が使われなかったからである。同法の成立に導いた懸念をよそに,兵庫県と神戸市は,地権者らが主体となって地区計画を定めた神戸市三宮周辺(5地区)を除く,16地区について,基準法84条による建築制限が効力を失う3月17日付で,市街地開発事業等の都市計画決定を行なった(土地区画整理事業10地区:216ha,第二種市街地再開発事業6地区:38ha。なお,建築制限区域内に複数の事業区域が含まれるため地区数の合計は一致しない。また,地区計画5地区:70.6haは4月28日決定)。特に第二種市街地再開発事業の決定は,地権者らの反発を招いて紛糾したが,建設省出向の兵庫県土木部長が強引に押し通したのである。この強行姿勢が,「復興災害」として批判の的となった新長田再開発の問題につながったのである。その結果,被災市街地復興推進地域の功罪は,ほとんど議論の対象となることなく,東日本大震災に至ったのである。

 もっとも,具体的な市街地整備事業の早期決定ではなく,被災市街地復興推進地域を指定するべきだったのかといえば,その判断は難しい(後述)。

 話を戻そう。建築基準法第84条による建築制限と,建築制限特例法によるその延長を行なったのは,宮城県だけだった。そこには,宮城県の復興への姿勢が如実に反映しているように思う。建築基準法第84条の建築制限は,上述のように条例制定も都市計画決定も不要である。つまり,議会審議も都市計画審議会の審議もなしに知事や市町村長が独断で指定できる。区域内の地権者には1日も早く復旧・復興をという思いがあるのに,何の説明もなしに,将来自分の土地とその周辺がどのようになるのか判断する材料もなく,しかし,自分の土地は何もするなと言われているに等しい。それが,2ヶ月ではなく特例法で8ヶ月の間続くのである。したがって,まともな自治体ならばその指定に躊躇する。まして,あれだけの大被害で,瓦礫処理だけでも大変な労力と費用がかかる。被災地権者にそれなりの資力があったとしても,自分の被災建築物の修復等を引き受けてくれる事業者を確保することも大変だから,後々,復興まちづくりが妨げられるほど,個別復旧が進むとも思えない。しかも,建築基準法第84条の建築制限は,上述のように,その区域で,復興のための市街地開発事業等を行うことが前提だ。建築制限の期間内に復興に向けたまちづくりの方針を定めて,具体の事業に取り組まなければならない。津波で破壊された市街地なら,現地再建が可能か,内陸移転,高台移転にするのかどうか,その判断も必要だ。まして復興事業費の目処も立たなければ,まちづくりの方針さえ決められない。同じ地震・津波被災地でも,岩手県があえて建築基準法第84条の建築制限をかけなかったのは理解できる。それにも関わらず,宮城県はかけた。しかも1800ha超も。阪神・淡路大震災の5.5倍もの規模だ。

 ここで思い出すのが,県の土木部が自らまとめて出版した『復興まちづくり初動期物語』である。県は,大手のコンサル5社に依頼して,被災市町村ごとに再建プランを作成し,発災1ヶ月目の4月11日までに,被災各市町村に提示したという。被災自治体からの依頼を受けたわけでもなく,僅か2週間で作った「おせっかプラン」は,被災自治体から感謝されたと誇らしげに書いている。同時に建築基準法第84条の建築制限も検討し,4月8日に一斉に指定した。「おせっかいプラン」にしろ建築制限にしろ,元になったものは,航空写真や目視資料であり,被災者の聞き取りなどはできようはずもない。つまり机上プラン,それが言い過ぎなら図上プランであって,明らかに被災者は置き去りだった。だが,建築制限は,被災者の手足だけではなく意識も縛る。自分たちのまちに建築制限がかけられたとなれば,いずれ上からまちづくり事業が降ってくる。自治体がまちづくりの方針を示さない限り,将来の見通しが持てないし,何もできない。被災者自身がコミュニティごとに,復興のあり方,まちの再建を自ら主体的に考えようとする意欲は萎えてしまう。宮城県は,津波浸水地域から高台や内陸に強引に移転させ,あるいは,大規模なかさ上げや広大な復興土地区画整理事業などを展開して「創造的復興」を推し進めようと,条例が不要な基準法84条の建築制限を浸水した市街地の区域全体に指定して,巨大まちづくり事業を既定事実化しようとしたのだと思わざるを得ない。ここにも村井知事率いる宮城県の横暴な体質が現れてる。

 さて,建築基準法第84条の建築制限は,その区域内で市街地開発事業等を行うことが前提だから,市街地開発事業等や被災市街地復興推進地域の面積とほぼ一致しなければならない。阪神・淡路大震災の時には,建築制限337haに対し,市街地開発事業の区域は324.8haだから,その差は12ha(3.6%)でほぼ一致していた。ところが,今回の宮城県の場合,建築制限区域は最大時1854ha,一方,建築制限が効力を失った2011年11月11日時点での被災市街地復興推進地域は1318ha(上記資料に記載された市町村の合計)。536ha(29%)も小さかった。特に気仙沼市は669haが266ha,石巻市は534haが449ha,女川町は273haが182ha,そして198ha指定した山元町は,被災市街地復興推進地域を指定しなかった。なぜそうなったのか。真相は,各自治体に聞かなければわからないが,建築制限が過大にかけられたことだけは間違いない。結局,被災市街地復興推進地域に移行しなかった建築制限区域の地権者は,何のために私権制限を甘受したのであろうか。(なお,どの時点での数字かわからないが,上に示した被災市街地復興推進地域の面積は,県全体で1412.6haとある。ただし,各自治体の数字を合計すると,2012年5月30日時点で,1358.2haで55haのズレがある。)

 ところで,阪神・淡路大震災では用いられなかった被災市街地復興推進地域は,結構,曲者である。決定には都市計画決定が必要だから,都市計画審議会で審議はされる。ただし,区域と満了日,緊急復興整備方針は定めるが,具体の事業やその内容は定める必要がなく,緊急復興整備方針も努力義務であって必須ではない(多分,定めるとは思うが)。都市計画審議会も審議できる材料がないから,追認するしかないだろう。しかも満了日は発災日から2年以内である。結局,建築基準法第84条の建築制限を2年間に延長したに過ぎないのではないかと思えてくる。

 建築基準法第84条の建築制限を論じることに多くを費やしてしまった。次に災害危険区域について考えよう。

 建築基準法により建築制限を伴うもう一つの措置である同法第39条の災害危険区域は,第84条の建築制限と同様に災害に関わるものであるが,その役割は全く違う。第39条の災害危険区域は,災害を防止する防災目的の建築制限である。河川の氾濫や土砂崩れ,津波など,災害の危険性が高く,人の居住に適さない土地に人が住むことを防ぐために,条例によって災害危険区域を定め,区域内での(特に居住用の)建築を制限する。ただし,住宅の建築を全面的に禁止するのが必須というわけではない。1階部分は住宅は禁止とか,土地をかさ上げすれば住宅も可能とか,制限する内容は制定する条例に規定する。条例で定める必要があるのは,災害危険区域の目的がまさしく私権の制限であり,災害危険区域が解除されない限り(すなわち条例が改正または廃止されない限り)継続するからである。つまり半ば永続的に私権制限を行うので,議会の議決が必要ということである。この規定が設けられた時には,国会で,かなりの議論があったようで,基準法の逐条解説では「建築制限に関しては,所有権等の行使の重大な制限となるので建築物の安全の確保できる最低限のものでなければならない。したがって,技術的に対処することが困難な区域については,住居の用に供する建築物の建築の禁止が認められるが,他の用に供するものについては,建築の禁止は行い得ない。」(逐条解説建築基準法編集委員会,2015,『逐条解説 建築基準法』,ただし,春山,水山,武田,2017,「災害危険区域内における建築物の安全性向上に関する政策研究」政策科学研究大学院ディスカッションパーパー16-32からの孫引き)とされている。なお,災害危険区域の解除は,堤防,砂防ダム等,危険区域指定の原因となった災害に対する防御施設が整備されて安全が回復すれば,解除する場合がある。

 また,建築基準法第39条の目的は,住宅の建築の禁止や制限がであるが,これに言及している他法令の目的は,建築の制限ではなく,住宅の立地の抑制である(春山他,前掲論文)。例えば,防災集団移転促進事業の場合,移転元地となる移転促進区域は,原則として災害危険区域を指定するが,これは,災害に襲われ,居住に適さないとして国費を投じて買取した宅地に再び住宅が立地すれば,国庫補助事業としての整合性にもとるからである。防災のために私権を制限する本来の災害危険区域と,他法令からの要請によって住宅立地を抑制するために行う災害危険区域の指定とは,目的と役割も異なり,指定の基準や手続きも当然異なって然るべきである。それを混同すると,他法令の趣旨を損ねることになる(例えば,防災集団移転促進法の趣旨に反して,防災集団移転の抑止となりうる)。この点については,既に別のブログ記事で詳細に論じているので,そちらを参照してほしい。

「防災集団移転促進事業のために行う災害危険区域指定と通常の防災目的災害危険区域指定を混同してはならない」2020年7月23日

 とは言え,要点を書いておこう。防災のための災害危険区域は,私権制限こそが目的だから,私権を制限される地権者(市民)の納得と協力が不可欠である。したがって,私権制限が必要な理由を客観的に示して説明できることが必要である。津波や,洪水の危険地域なら,浸水シミュレーションなども有力な手段だろう。しかし,その他の法律よる災害危険区域の指定,例えば,防災集団移転促進法の場合には,移転促進区域に対する災害危険区域の指定は,国費で被災宅地を買い取ったことの正当性を担保するために,再び住宅が立地することを防止するために行う。買い取った以上,そこは公有地なので,建築制限をかけても私権の制限には当たらず,反発を招くことを危惧する必要もない。だから,防災集団移転促進事業における移転促進区域であるという事実があれば指定の根拠としては十分で,それ以上の客観的根拠,浸水シミュレーションなどは不要である。防災のための災害危険区域と防集のための同区域を混同して,事前にシミュレーションが必要などと不要な要件を付加すると,防災集団移転「促進」事業どころか,防災集団移転「抑制」事業になってしまう。

 さて,今回のブログ記事の論点はそこにはない。建築基準法第84条の建築制限が問題であっただけでなく,同39条による災害危険区域も,それに負けず劣らず問題だった。かけられた災害危険区域があまりにも広大だということである。上記の資料によれば,山元町1900ha,気仙沼市1380ha,仙台市1213ha,東松島市1200haなど県全体で約7500haにも及んだ。これは,L2津波(最大級の津波)における浸水シミュレーションを行なって,浸水深が2m以上と想定された地域をほぼ機械的に災害危険区域に指定していったこと,また2011年12月に成立・施行された津波防災地域づくり法がそれを追認し,L2想定シミュレーションを義務づけたからである。

 しかもその一方で,100年ないし150年周囲で起こるL1津波については,海岸防護施設等(防潮堤など)で対応し,その設計にあたっては堤内地へ浸水しないことを基準にした。三陸沿岸域の場合には,明治三陸津波や昭和三陸津波等がL1に対応するので,それが堤内地へ浸水しない設計となれば,多くのところで,高さは10mを超える。以前よりさらにかさ増しされることになった。その総工費には諸説があって確定していないが,中には4兆円という試算もある。

 最大級の津波なら2mを超える浸水深になる地域であっても,その頻度は数百年に1回,おそらくは800年から1000年に一度である。それ以外の津波は,正しい設計がなされているなら防潮堤を越流することはない。つまり,災害危険区域は数百年間は安全な地域のはずだ。短く見積もっても江戸時代のはるか前,応仁の乱このかた安全な土地に,人はなぜ住んではいけないのか。産業施設やレクリエーション施設は良いという根拠は何か。良いのだとしても,災害危険区域とされた土地をわざわざ購入したいという人はいるのか。災害危険区域で働いたり,遊びに行って,もし災害にあったとき,地震保険などが本当に保障してくれるのか。移転元地が売れずに空き地が目立つが,それは当たり前ではないか。

 人の住まない土地を守る高さ10m超の防潮堤。その意味を改めて問いたいと思う。

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