みやぎ震災復興研究センター

『東日本大震災による津波被害からの市街地復興事業検証委員会-とりまとめ』を読む
―防災集団移転促進事業、土地区画整理事業、津波復興拠点整備事業の検証について考える
(その2)

Date

Picture of 阿部 重憲
阿部 重憲

みやぎ震災研理事
技術士・都市プランナー
新建築家技術者集団会員

<はしがき>

 前回(その1)に続く表記報告書の「3.復興に関する計画プロセスの留意点について」と「4.復興事業の進め方」の問題点に関する覚書である。 

■「3.復興に関する計画プロセスの留意点について」(P26)

 ここの記述は、「(1)被災直後における力強い発信の必要性」(P26)と「(2)時代を先取りした明確なビジョンの確立と共有」(P27)というメッセージ性の強い内容を受け、これを踏まえた意向把握((3)~(5))が重要であるとしている。しかし、この組立て及びその内容にも多くの問題がある。

 まず、構成についてであるが、復興構想会議提言への批判同様、ビジョンあっての生活再建ではないということをここでも明確にしておきたい。あくまで目指すべき復興は、被災者、被災地の生活と生業の再建以外何ものでもなく、そのための被災実態(要因も含む)と意向把握、方向性についての共有・住民合意(まちづくり・コミュニティ)が求められているのである。「(1)被災直後における力強い発信の必要性」(P26)の「力強い」とはいかにも状況にふさわしいようではあるが、ありきの発信は、決して共感を得ることはできない。とりわけその内容がトップダウンなのか否か、それともリーダーシップによるものなのかどうかによって事態は大きく異なる(なった)。当然、トップダウンは住民の分断を招き、事業の長期化や頓挫に結び付く。例えば、気仙沼市内湾地区のまちづくりは、まさに県知事のトップダウンによる防潮堤建設と地元のリーダーシップ・住民主体の復興まちづくりとのせめぎ合いであったが、後者がなければ復興まちづくりは実現しなかった(詳細は後述)。

 「(2)時代を先取りした明確なビジョンの確立と共有」(P27)は、既に冒頭でもふれているのでコメントは省略する。以下「(3)集落・世帯レベルから個人レベルまでの意向把握と情報提供」(P28)、「(4)意向変化への対応」(P30)、「(5)意向把握における時間軸の考え方」(P32)に共通しているのは、主に復興まちづくり事業の事業計画確定と被災者の事業参加同意との調整をいかに迅速かつ効率的に行うのかという点についての取りまとめになっている。しかし、肝心なのはこの中でも若干ふれているコミュニティとしての「方向性をとりまとめていく」(P28)という住民合意形成の取組が決定的に重要なのである。つまり住民(個々の)意向確定と住民主体・合意形成とは一心同体なのである。

 検証委員会の「とりまとめ」で東松島市東矢本駅北地区の防災集団移転促進事業の早期事業化について紹介(P29)されているが、単に「具体的な再建費用など明確な再建プランを提示した」(P29)だけではなく、住民主体・合意形成を住民と行政が一体となって取組んだ結果が早期事業化に結実したのである。当地区で特筆されるべき点は、話合いのスタートから移転先に希望者全員が入居できるという条件だったので、みなし仮設や仮設住宅に分かれていても交流を深め、様々な課題を検討し、復興(生活再建)への展望を住民自らが共有(合意形成)していけたのである。

●東松島市東矢本駅北地区の住民主体・合意形成の背景

*以下、出典の「第4章 いま 復興を振り返ってみる」より
⑥住民が結束できた源には、コミュニティの継続と目標の共有があった
 人任せで誰かのせいにするんではなく、自分たちで考えなければいけないことを随分学んだと思います。そのベースにあったのが、被災から新しいまちの入居までコミュニティの継続ができたことだと思います。
 移転住民は市内各所の仮設住宅団地やみなし仮設住宅(民間アパートなど)に別れて居住しており、距離的にも離れていたため意思疎通が難しい状況にありました。特にみなし仮設住宅については、一般に被災者状況把握の困難・行政の情報や支援が得難い・旧行政区でまとまって住めない・転出を助長するなどの問題点が指摘されましたが、繋がりの継続という点で、ここでは移転希望者全員が入居予定地区を保証されたため、あおい地区の入居予定者は何処の仮設住宅にいても、協議会からの情報連絡が行き渡るよう「まちづくり通信」をほぼ月刊で発行し、郵送して、協議会員同士の情報の共有を図ってきました。また、協議会全員の大交流会や、復興支援音楽祭、入居予定街区別の顔合わせ会など数々のイベントで意識的に交流の機会をつくったこともコミュニティ継続に繋がったと考えています。
 もう一つ、協議会の会長が口癖のように「新しくつくるまちを『日本一住みやすいまち』にしよう。」と語り続けたことも、協議会のみんなが共通の目標をもつ要素だったと思います。
(出典「東松島市あおい地区防災集団移転・災害公営住宅整備の記録」2017.08NPO都市住宅とまちづくり研究会・編著)

●同地区の住民主体・合意形成の内容

① 土地利用計画の変更が実現した
② 自ら画地評価を行って面積調整をした
③ 宅地の位置は、くじ引き(抽選)でななく話合いで決めた
④ 街並みルール「自らの制約」ではなく「お互いのルール」と理解した
⑤ 災害公営住宅のプランも入居位置も自らで決めた
⑥ 住み始めてからの自治組織も事前に決定した
⑦ 共用空間の計画も豊かな暮らしのルールもみんなで決めた
(出典 前掲書)

 「(6)データに基づく計画策定のあり方」(P32)は主に計画策定上の技術的課題についてなので、ここでは省略する。「(7)仮設とまちづくりとの関係について」(P33)では、大きな問題になった応急仮設住宅のあり方(恒久的利用、みなし仮設、立地場所等)と復興計画や復興まちづくり計画策定への影響についてふれている。いずれにしてもこの点は今後の教訓とすべきであるが、前述した東松島市東矢本駅北地区の場合のように、仮設住宅がそれぞれ離れていても、移転希望者全員の生活再建の目標が明確(民間アパート居住者も移転可能という方針)であれば、多くの困難を乗り越えていくことは可能である。しかし、そのためには被災前からのコミュニティ活動と行政との連携が決め手となる。

 これまでふれて来た「3.復興に関する計画プロセスの留意点について」での最大の問題は、「(4)意向変化への対応」で示されている【意向把握と事業計画反映の流れのイメージ(全体像)】の初期対応段階→調査計画段階→事業計画段階→事業実施段階という流れの中で、被災者の意向が、一貫して「流動的」あるという事である(塩崎賢明氏が指摘する「混線型住宅復興」(同氏著『復興<災害>-阪神・淡路大震災と東日本大震災』岩波新書2014年。P159 )とも重なる)。この「流動的」状況を左右する要素は、被災者のニーズに見合う生活再建支援策の確立にあることは言うまでもないが、同様に重要なのが被災者コミュニティの主体・合意形成である。この意味でも、「意向把握」方法の詳細化・マニュアル化(当局側の一方的な)よりも、紹介した東松島市東松島駅北地区等先進地区等からの教訓を明記することである。

■「4.復興事業の進め方」(P34)について

 「(1)復興事業全体の流れ」(P34)の項目は、当局の事業推進という立場から発災直後の初期対応段階から調査計画段階、さらには事業計画段階の取組と事業完了後の取組について、それぞれの作業項目を列挙している。しかしこの現実の流れは、先にもふれたように被災者の暮らしの再建へ展望に支えられた住民合意に左右される。とくに言葉尻になるかも知れないが、ここに記されている復興計画(自治体全域)から復興まちづくり計画(地区)に「落とし込む」という発想は、計画・事業全体の流れの障害にこそなれプラスにはならない。地区からの積み上げによって復興計画(自治体全域)を組み立てた方が、当初は時間を要するが、最終的には期間短縮にも計画熟度のアップ(効果的な土地活用)にも繋がる。

 この点については、宮城県知事のトップダウンと対峙し復興まちづくりを実現した気仙沼市内湾地区のケースからも明らかである。県知事の防潮堤建設(県復興計画)の主張と地元住民の景観を重視する意向の対立の中で、住民自らが「内湾地区復興まちづくり協議会」を設立し、県知事が主張する防潮堤の高さを抑えるための粘り強い運動を展開した。その結果、県知事が方針を転換し、調整案によって決着した(2014年1月)。ここまで大震災から2年10ヶ月もの月日を要しているが、問題解決に導いたのは住民のイニシアティブである。 その後、内湾地区の「まちづくりのグランドデザイン(商業再生ビジョン)」も固まり動き出したが、この間、土地区画整理事業が先行し、まちづくりが暗礁に乗り上げそうになった。しかし、地元住民が事業サイドを動かし、その危機を乗り越えることが出来た。この中で、いわゆる「二段階仮換地指定」という「加速化措置」(当局の表現であるが、一面のみしか言い当てていない)がその役割を発揮した。内湾地区のまちづくりに関わった阿部俊彦氏(立命館大学准教授)は「地域住民が納得いくまで話合い、その結果として時間がかかることは必ずしも復興にとってはマイナスではない」、さらに「復興に長い時間を要した内湾地区は、早期に基盤整備が完成した市内の他の土地区画整理事業地区よりも人口減少率は低い」とも指摘している(『建築とまちづくり』2021年3月号)。確かに検証委員会の「とりまとめ」のバックデータである「土地区画整理事業における土地活用状況」(国交省2020年12月末現在)を見てみると、内湾地区(魚町・南町地区)の活用済は91%であり、それ以前に完成した南気仙沼及び鹿折地区はそれぞれ47%、54%と大きな開きがある。

●気仙沼市震災復興計画 2011年10月 表紙より

 「(2)地区別の土地利用方針(復興パターン)での復興市街地の計画」(P35)では、(特徴)の中で、各地の取組を①現地再建、②嵩上再建、③新市街地整備、④嵩上再建+高台移転の4パターンに集約し、それぞれの計画策定の背景、事業目的についてふれている。しかし、本当に現実の動きから4パターンに集約できるのか、この4パターンとは、地区・自治体の積み上げの結果ではなく、復興構想会議の提言を始めとする3事業一体の推進(ワンパターンとも言える)と誘導(復興特区による特例措置等、パターン調査と事業ガイダンスの提示)の面から見ている(物的空間の面から)に過ぎない。

 特に岩手県の場合は、市町村独自の取組を尊重し、多くの被災市町において一括りの計画策定ではなく「地区別計画」の策定が進められた。釜石市の場合などは、事業検証委員会資料(第3回)でも紹介されているように、地区別の検討を行い東部地域においては面整備や嵩上げを行わずに自主再建、つまり「事業を選択しないパターン」となっている。従って、「とりまとめ」に当たっては、具体的な取組と問題を集約し、パターン化の限界(例えば「職住分断」等)やそれを克服すべき課題(安全の相対化、避難計画、地域・生活文化の継承等)についても明確にすることが求められているのである。

 なお、「(2)地区別の土地利用方針(復興パターン)での復興市街地の計画」のまとめで「市街地の形成に当たっては、被災者の意向を踏まえて、既存市街地・集落の居住空間や生活機能の活用や連携、道路や堤防等の他の施設との関係を検討した上で市街地形成のあり方を検討していくことが重要である」(P39)と結んでいるが、ここの「被災者の意向を踏まえて」は、前述の計画・事業の実態からも、被災者個々の意向把握と合わせて「被災者、被災地の主体・合意形成をふまえて」に改め強調する必要があるのではないかと思う。

 「(3)復興市街地の事業手法の選定等について」(P37)と「(4)復興事業後の市街地の活用と維持管理」(P41)は一体的な把握が必要である。「(3)復興市街地の事業手法の選定等について」では、現実に展開してきた各事業の役割分担とその特色を示しているが、最大の問題点は、特に防災集団移転促進事業と土地区画整理事業の特例措置(防集;住宅団地の規模要件の緩和、区画整理;市街化調整区域の自治体施行、減価補償地区以外でも緊急防災空地の用地取得費、嵩上費支援)による事業規模の巨大化であり、これが復興事業後の大量の未活用地の存在となって表面化した。さらに特例措置によって事業性が大幅に向上(例えば土地区画整理事業地区における保留地処分等)し、結果として3事業の選択で展開が可能となり、全体としてスクラップアンドビル手法としての性格を強め、通常の市街地開発事業となんら変わりのない市街地復興事業となった。この結果、沿岸都市・集落における誇るべき自然・景観資源等が失われてしまった(なお、3事業の他に漁業集落防災機能強化事業があることは承知している)。このように見ると、3事業は、「市街地復興」というよりも「市街地開発」のために行われたといっても過言ではない。特に土地区画整理事業は、「市街地復興」であろうと既成市街地の整備であろうと未活用地の存在が事業評価に直結するものであり、さらに各地区のビルトアップに関するモニタリング調査を継続し、事業選択と規模の是非についての評価・検証を行う必要がある。

 なお「(3)復興市街地の事業手法の選定等について」の中で大船渡駅周辺地区における申出換地の取組について紹介しているが、類似の区域全体に及ぶ申出換地の取組は、陸前高田・高田地区や南三陸町・志津川地区でも実施されている。しかし、大船渡駅周辺地区の取組は、単なる権利者意向の事業への反映ではなく、地権者それぞれの生活再建と地区内所有地の運用、利用(活性化)を結び付けているという点でも計画的であり、実効性もあり申出・集約換地としては最も優れた事例といえる。また、女川町の中心部における集約換地は、一部の事業参加者を対象にしており、これらの地区よりも限定的な取り組みとなっている。

●大船渡駅周辺地区土地区画整理事業

大船渡市ホームページより

More
posts